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博愛は一般に、「すべての人を等しく愛すること」とされています。
しかし、博愛(=ひろくあいすること)とは、単なる「甘やかし」ではありません。
その人のことを考えて、「厳しく」することも博愛ですし、黙って「無関心」を装い、自らで悟らせるのも博愛です。ときには「手助け」をするのも博愛です。
博愛とは、相手の成長を慮って、ふさわしく対処することなので、一つの決まった行動を指す言葉ではありません。
逆に、むやみに口を出したり、やたらとお仕着せがましくする行為は、主体性の侵害であって、博愛ではないでしょう。
博愛は、心の問題であって、相手の責任は、その本人にしか果たせないことを知らなければなりません。
未熟でも、相手の責任を尊重して、委任する心がなければなりません。
博愛とは、根底に、相手の主体的な判断や経験による「学びの機会」を尊重し、奪わない心が必要です。
相手からみれば、「自己の弧高性(尊厳性)」を守って対応してくれることです。
本当の博愛には、自分の考えや方法とは違う、相手の「自立性」や「主体性」を尊重し、個性や人格の成長を促し見守る、少し離れた心を持つ関係性が必要です。
今、私たちに満ちているのは、博愛ではなく、薄愛ではないですか?
自問自答しましょう。
目睫の利益や安楽に妥協せず、同僚、部下のデザイナーたちを育て、そして自分自身も成長しましょう。
研鑽は自身の存在価値を高め、自身の存在意義を確立させます。
そして、それはお客様の信頼に応えるための責務です。
■投稿者: crayon
■日時: 2009年01月28日 21:04